今日は、日本食品流通@香港について思う事を書く予定だったけど
前回の心配事「私たちの孫世代は魚を食べ続ける事ができるだろうか」
に関連しそうなニュースがあったので、そちらを先に。
日テレ24(2017年11月9日):カニ高値 飲食店から悲鳴
詳細は↑↑↑リンク記事をご覧いただくとして
日本産の蟹においては資源量の減少、漁獲高制限。
ロシア産ズワイガニなどの高騰の原因の1つは、
中国などでの人気の高まりに伴い日本の輸入量の減少。
今回は高い食材というイメージが強い「カニ」というものに
焦点が当たられているから、輸入食品関連全様が鈍りやすいけど、
これ、蟹に限った事ではないと思うのよね。
エビやイカ、マグロやサーモン、その他諸々
外国から輸入している品、流れとしては同じような感じじゃないかしら。
リンク先の記事↓↓↓では
カニ高値 飲食店から悲鳴、値上げの動きも|日テレNEWS24
中国などでの人気が高まりと書かれているけど
香港での人気、輸入量、消費量も凄まじい。凄まじいを通り越し
今風の表現で表すと、エゲツナイというのかしら。
「放題」という食スタイルが香港ヤンに合っているのでしょうね。
「食べ放題」や「ビュッフェスタイル」という食スタイルは
10年くらい前?15年位前かな?
本格的に広まり、落ち着くどころか、
その勢いは増すばかり。
今回の話題「蟹」をとってみても
たらばがに、油が二、アラスカキングクラブ
細かな説明をしている場合もあるけれど、
大体の場合にはあまり細かな部分は気にされないようで
何もかもひっくるめて阿拉斯加蟹や阿拉斯加帝王蟹と呼ばれ
街中の個人店から、地元系チェーン飲食店、3つ星ホテルから
インターナショナル系5つ星ホテルまでどこもかしこも食べ放題。
そしてどこも大体つねに満員御礼。
(注釈:阿拉斯加はアラスカ)
では、そのビジネスの方法や、食べ放題を満喫する人々が悪いのか。
いやいやいやいや、そうでもなかろう。
私たちはそういう世界で生きているのだから、ショーガナイよね。
ここで、ちょっと話をずらしますけどね、
香港ヤンって不思議でね。
今、香港の不動産、驚異的な高騰で香港ヤン困っているんですよね。
香港ヤン曰く、
「中国人が香港の不動産を買いあさり香港の不動産価格を釣り上げて
香港を滅茶苦茶にしているっ!!」
一生懸命働いても働いても、一般の人々が簡単に家を買える世の中ではなくなり
それが、ものすごく社会問題になっているんですよね。
異国人のワタクシが口出しする事ではないとはジュージュー承知しておりますが
食べ放題で無我夢中で蟹にむさぼりついている香港ヤンは
無我夢中で香港の不動産を買いまくる中国の人々の姿と
全く同じように見えるけど。
しかしながら必死で蟹にかぶりつく当の香港ヤンの皆さまは
そうは思ってはいないようだから、はぁ~、なかなか興味深い人々だ。
これ、あれよね。
中国14億の民、インド13億の民が一同にカニ食べ放題企画を行って
カニが香港に回って来なくなって、香港でカニ食べ放題企画が消えたら、
そんな時には香港ヤン
「チューゴクジンとインドジンが蟹を食べあさるから
蟹がどんどん高騰して食べられなくなったじゃないかぁーブヒィー!!」
とか、そんな感じに怒りそうだから困る。
家が高い高いって、だいたいね、
あなたたち、いっつもいっつも5つ星ホテルで蟹ばっかり食べてるじゃんっ!
今日はカニぃ~、今日は和牛ぅ~とか食べ歩いてるから
家買う頭金貯められないんじゃゴザイマセンのっ??
と真正面からアドバイスしてあげたいのはヤマヤマですけどね
なにこのウザイ日本ヤン、とっとと日本に帰りなさい!
と言われそうなので黙ってますけどね。
すっかり話がずれてしまったわね。
話を未来のニッポンの食卓に戻しましょう。
そんな感じで、
蟹を売りたい人たちは、
蟹をより高く買ってくれる人
効率的にビジネスができる相手に売る
というのは、ゴクゴク自然な流れであるわけで
それは、蟹だけではなくて、エビでもタラでもメロでもたこでも
きっと同じ状況だと思うんだ。
だから、何というのだろう。
常日頃、毎回毎回真剣にガッツリ考えて
一回、一回の食事をもっと大切に考えなきゃイカンよ!!
という事ではないんですよね、ワタクシも普段、あまり考えないし。
でも、時々ね、時々でいいから
今、まさに食べようとしている豚しょうが焼きね
「あれ?そういえばこの豚、どこ産だろう?」とか
リンゴジュース飲むときに
「リンゴ農家業界って今、上向きなのかな、後退気味なのかな」とか
銀鱈西京焼きやさんまの塩焼きを食べるときに
「この銀鱈はどこから輸入されたんだろう」
「今年、サンマは大漁なのかしら?」とか
値上げせずに頑張っていますっ!を大きく謳う飲食店で食事をする時に
「値上げせずはありがたいけどスタッフ方々は給料上がっているのかしら」とか
何でもいいのだけれど、
ただ空腹を満たす、ただ生きるために何かを口にする
という部分からちょっとだけ一歩踏み出し
何かしらね、時々で良いから何かしらフト考えて
どんな形でもいいから「食に関して興味を持つ」
それがきっと、孫たちの代の食卓に残してあげられる何かに繋がると
そう思うわけですね。